2012年7月20日金曜日

人生の奇跡 J・G・バラード自伝を読む。

J・G・バラード著 人生の奇跡 J・G・バラード自伝 東京創元社刊 柳下毅一郎訳 を読了。生まれ育った上海国際共同租界の風景、戦時中の収容所生活。このあたりの記述では小説「太陽の帝国」、そしてそれ以上にスピルバーグによる同作の映画の印象が強いので、バラードの自伝を読みながら私自身の過去の読書・映画体験を回想するという奇妙な体験する。30年前に「時の声」、「結晶世界」を読んで以来、すべての作品ではないが継続的に読んできた作家なので、作品体験が私の実人生のマイルストーンの様なものになっている事に気づく。文学体験とは己の人生を生きながら、他者の人生を部分的ににではあるが共有することだなと感じた。この様な感覚が生まれるくらい、バラードの上海は強烈で有り、そして懐かしかった。

バラード自身こう記述している。
いくらか好意的な読者は初期長編や短編から、すぐに「太陽の帝国」のこだまを読み取った。過去三十年間にわたしがばらまいてきたトレードマーク的イメージ───水のないプール、遺棄されたホテルやナイトクラブ、放棄された滑走路と洪水になる川───
はすべて戦時の上海にルーツを持っていた。長いあいだわたしはそのことに抵抗していたが、今ではまちがいなく真実だと認めている。わたしが抑圧しようとしてきた上海の記憶は床板を突き破って足元から飛びだし、我が小説の中に音もなくすべりこんだ。216頁より引用

このフレーズも心に響く。
上海を忘れるのに二十年かかり、思いだすのにまた二十年必要だったのだろう。英国に戻ってきた戦後すぐのころ、上海はけしてたどりつけぬ都市、二度と戻れぬ過去にうもれた黄金郷だった。213頁より引用

戦後、イギリスに帰国。初めて接する故国イギリスの文化・社会(黄昏れていく大英帝国)に困惑しつつも医学を学び(人体解剖のエピソードが印象的。少年期に数多くの死体に接したことのトラウマの超克か?)シュールリアリズムの芸術に心を魅了され、やがて小説家として生きることを志すバラード。空軍パイロットのための訓練で赴任したカナダの空軍基地の売店でSF小説と決定的な出会いをする。

わたしはSFに惹きつけられ、のめりこんだ。ここにあるのは、実際に現実を扱い、ときにはほとんどカフカのように簡潔で両義的な小説だった。SFは消費広告に支配された世界、広報活動に変容をとげた民主政府の存在を認識していた。それは我々が実際に生きている自動車、オフィス、ハイウェイ、飛行機、スーパーマーケットの世界だが、純文学からはきれいさっぱり抜け落ちているものでもあった。ヴァージニア・ウルフの小説の登場人物は一度たりと自動車にガソリンを入れたことはない。サルトルやトーマス・マンのキャラクターは一度も散髪代金を払ってはいない。ヘミングウェイの戦後小説は核戦争の脅威に長くさらされる影響をとらえていない。今見てそう思うのと同様、当時でもそれは馬鹿馬鹿しく、不条理なことだった。いわゆる純文学作家たちにはひとつの支配的特徴があった────その小説はまず第一に自分自身についてのものだったのだ。モダニズムの中心には「自己」が横たわっていたが、今そこには強力なライバル、日常世界があった。それは「自己」と同じように心理的構築物で、同じように謎に満ち、ときに精神病質の衝動をしめす。この禍々しき領域、気が向けば次のアウシュビッツ、次のヒロシマへと日帰り旅行に出かけるやもしれぬ消費社会こそ、サイエンス・フィクションが探求しているものだった。──以下中略── 国境までの日帰り旅行でわたしが見たものはカナダとアメリカに急速に訪れつつある変化だったが、その変化はいずれ英国にも到着するだろう。わたしはSFを内面化し、消費社会とTVランドスケープと核軍拡競争、フィクション的可能性の未踏大陸に潜む病理を見いだすだろう。わたしはそう信じた。  143から144頁より引用


この記述にはSF作家になろうとするバラードの決意表明以上のものが書かれている。1953年にSFに出会ったバラードが、果たしてその時、その後の20世紀後半にアメリカを中心として興る消費社会、マスメディアの日常生活への浸透そしてその影響力、テクノロジーの発展と同時に起こる軍拡競争などをどの程度予想していたか知るよしもないが、その後に書かれた数多くの作品が預言的であったことは言うまでもない。ショッピングモール、空港、高速道路、モータリゼーション、郊外、等々。90年代中庸以降日本の私達の思考の場所でもたびたび取り上げられるタームはすべてバラードの作品群から抽出されたのではないかと思うくらいに、バラード的世界を生きている。かつて私が東北の田舎町でバラードの作品を読みながら夢想した殺伐とした人類滅亡後の風景は、東京郊外を自動車で走れば、いくらでも車窓から否が応でも目に飛び込んでくる。とくに震災以降は現実がバラードを追い越してしまったと言っても過言でないだろう。

アポカリプス的な文脈で語られる事が多いであろうバラードであるが、それこそ彼の日常生活について知った事は救いであった。3人の子供を残し病死した若い妻亡き後のバラードは、シングルファーザーとして、育児に専念し、料理を作り、学校に子供達を送ってやり、迎えに行くまでの時間を執筆にあてていたのだ。子供達の成長の様。再婚相手との出会い。作品の中で幾度となく人類を滅亡させた男の実生活。

妻や子供達へのの愛情。父親であることの誇りと喜び。本書のタイトルも彼の子供達に由来するものであり、自伝は彼らに捧げられている。

自伝の最後は死因となった前立腺癌とその治療、そして死を覚悟し自伝を書こうという意志が生まれたことをさりげなく書き表し結ばれている。

ジェイムズ・グラハム・バラード 1930・11・15生〜2009・4・19没