2013年6月3日月曜日

移動すること。記憶を辿ること。風景を読み解くこと。その2北海道に行ってきた。

5月20日、北海道岩見沢の叔母が亡くなった。恵庭に住む弟より夕方訃報が届く。翌日幾つかの業務を片付け北海道に向かう。北海道に行くのは一年ぶり。だけど前回も葬儀だった。若い頃と違って旅行目的の飛行機には随分と乗っていない。
今回は羽田からではなく、茨城空港から飛ぶことにした。正直言ってANAやJALは高い。半額位で行けるのだからものは試しと、スカイマークで行くことに。西日暮里の自宅から羽田空港までの所要時間も一時間くらい。ならば自宅から車で高速で茨城に行くのと大して変わらない。午後3時位に出発。常磐自動車道を一時間走り、千代田石岡ICから一般道を20分ほどで茨城空港。

一般道を運転している私に、デジャブのような変な気持ちが生まれる。初めて走っている道のはずなのに、なぜかすでに訪れたことのある土地のように見える。未だに風景の見え方が、一週間前に観た佐々木友輔監督作品「土瀝青 asphalt」の影響下にあった。(土瀝青については前回のブログを参照されたし)佐々木が撮影したかもしれない、のどかな茨城の田園地帯に茨城空港はあった。茨城空港は軍民共用飛行場で航空自衛隊百里飛行場の民間施設のことを言う。空港に到着した時、戦闘機が轟音と共に離発着訓練をしていた。爆音のとぎれた合間に、雲雀が空高く囀りながら飛んで行くのが見られた。基地周辺に特有の緊張感とのどかさの同居した風景。


離陸。格安航空機、窮屈さを別段感じなかった。一時間ほどの飛行なら問題ない。窓から三陸の海岸を確認。種差海岸、やがて八戸。高校時代を過ごした八戸、三沢の街を空の上から眺める。自分が住んでいた時は、街を空からみたことはない。住まなくなってから見るようになった。とても遠くに感じる。小川原湖、六ヶ所村も見える。八戸の鮫のあたりから下北半島尻屋崎の手前まで砂浜が繋がっている。長い砂浜。浜に打ち寄せる波頭が白く浮かび上がって見えた。

着陸。きりっとヒンヤリした空気。北海道だ。JRで空港から恵庭へ移動。そこで弟と合流。弟の運転する車で岩見沢に向かう。水田地帯の道を行く。水を入れ始めた田では蛙の声。
夜の道路で見慣れぬ光る矢印の道路標識。弟に聞くと道路の端を指し示すもの。ひどい吹雪の時など、どこが車道かわからなくなる。その時その光る矢印をたよりに運転するのだそうだ。LEDと太陽光パネルの普及で光るタイプが増えたようだ。20年前もたしか矢印はあったと思うがあんなに光っていただろうか。動画は助手席の私が撮影。弟はさらに防雪柵について運転しながら説明してくれた。北海道ならではのインフラ設備。




葬儀会館に到着。通夜に参列。涙。翌日告別式。涙。恵庭に戻る。

途中JR岩見沢駅に立ち寄る。2009年グッドデザイン賞を受賞した駅。
駅舎建設にあたり寄付した人の名前と出身地が刻印された煉瓦。1階外壁

ガラスと古い鉄道レールが融合している

有明連絡歩道
連絡歩道内部


















              岩見沢駅舎は三つのブロックで、できている。有明交流プラザ。岩見沢駅。有明連絡歩道。交流プラザはホールやギャラリー、市役所のサービスセンター、店舗など。連絡道が立派なので通路以外の使用はあるのかと思い(例えば移動販売等の仮設店舗)東京に戻ってからだが、管理団体に問い合わせをしたところ、あくまでも通路としての使用のみだそうだ。東京近郊ターミナル駅のエキナカビジネスの興隆とはほど遠い地方の現状がある。プラザと連絡道の所有は岩見沢市。今のご時世、維持管理は大変だろう。

途中みつけた雪捨て場。まだ雪は溶けていない。重機で溝を掘っていた。太陽光が中まで入るようにしているのか?廻りの温度との差があるのだから、その差をエネルギーに変換できたらよいのだが。マイナスの方の差なのでエネルギー転用は難しい。川に流せば良いのではと弟に聞くと、氷の塊を大量に河川に流せば水門や堤防を破壊する事になるから無理だそうだ。しかも河川敷を雪捨て場にしている自治体が多いが河川敷は国交省の管理下。つまり地方自治体は国から河川敷を雪捨て場として借りている。期限付きで。5月いっぱいだそうだ。それまでに雪を撤去してしまわないと降雨量が増える時期となるので河川の治水管理がうまくいかなくなる恐れがあるのがその理由らしい。はたして現在、恵庭の雪はとけただろうか。



昼に恵庭に着。父の命日も間近なので日にちを繰り上げ、住職を呼んで法要をしてもらった。その後千歳空港へ。復路もスカイマークで茨城空港に降りた。19時半に帰宅。気温差10度くらいだろうか。生暖かい空気。


グローバリゼーションの進行の結果どうかわからないが、日本中どこにいっても同じようなファスト風土、均質な空間に出くわす。アウトレットモール、ファミリーレストラン、コンビニ、街道沿いの量販店。しかしそれぞれの土地が抱えている固有の問題も、また同時に目につくものだと今回の北海道行きで感じた。通信革命、流通のダイナミックスも地表から地理的差異を完全に消滅させることはできないのだろう。