長谷川謙一郎氏撮影 |
萩原富士夫+矢尾伸哉 展 先週土曜日26日に無事終了いたしました。多くの方にご来場頂いて誠にありがとうございます。数々の貴重なご意見ご感想をいだだきました。今後の作品制作の励みとなりました。そしてなにより矢尾伸哉さん、ともに新しい発見と経験を得ることができたこと心から感謝します。
私はその下で、ハンマーで木製の杭を地面に打ち込んだ。資機材の運搬は自動車に頼らざるを得ない。よって自動車が入り込める場所。廻りに樹木等があるとバルーンがそれにふれて破裂する恐れがある。地権者に許可を得てからの撮影ではなく、ゲリラ作戦で行う等々の条件を満たす場所を求めて、東京近の郊外の造成地や河川敷などを車でフィールドワークする。結果として季節と場所を替え計3カ所で撮影をした。
矢尾氏によって編集された映像を見て面白いことに気づく。風船が大気の流れによって揺れるので全体が揺れ続ける映像になったことは予測の範疇であったが、行為を行う場所の固有性が希薄なのだ。匿名性を帯びた場所とでも言えるか。砂地であったり、草がまだらにはえた荒れ地という表面の質感は見て取れるのだが、それが一体どんな場所なのかが、はっきりとしない。たぶんバルーンの浮遊高度をさらにあげれば車道や畑、河川などが画面に映り、場所のイメージがより具体的になるのだろうが、そうすると今度は行為する身体が見えなくなる。場所のイメージが、水平的なまなざしによって生まれることがよくわかった。それが風景というものなのか。場所と風景には差異がある。
ここで言葉遊びを一つ。私達は撮影地を探して車を走らせることを旅=travelととらえた。
travelはtravailと同一な起源を持つ。travail =苦労、陣痛、骨折り、苦労した仕事。こんな言い回しもある。travels in the blue 白日夢、放心。原義は旅の骨折れ。そしてこれらの英語はtripaliumというラテン語からきた。tripalium=three pile 三本の杭。それは罪人を拷問するための道具のこと。
さて展示であるがここで私が一人で語れるものではない。矢尾氏との共同作業。複数の思考の流れがそこにある。いずれ何らかの形式に二人でまとめるつもり。Facebookにより多くの写真をアップしてあります。アカウントをお持ちの方は是非ご覧になってください。
矢尾伸哉撮影 |