2014年2月23日日曜日

プルースト現象/チーコと馬

 しかし、古い過去から、人々が死に、さまざまな物が崩壊したあとに、存続するものが何もなくても、ただ匂と味だけは、かよわくはあるが、もっと根強く、もっと形なく、もっと消えずに、もっと忠実に、魂のように、ずっと長いあいだ残っていて、他のすべてのものの廃墟の上に、思いうかべ、待ちうけ、希望し、匂と味のほとんど感知されないほどのわずかなしずくの上に、たわむことなくささえるのだ、回想の巨大な建築を。

「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 井上究一郎訳 ちくま文庫 78pより引用

 そしてあたかも、水を満たした陶器の鉢に小さな紙きれをひたして日本人がたのしむあそびで、それまで何かはっきりわからなかったその紙切れが、水につけられたとたんに、のび、まるくなり、色づき、わかれ、しっかりした、まぎれもない、花となり、家となり、人となるように、おなじくいま、私たちの庭のすべての花、そしてスワン氏の庭園のすべての花、そしてヴィヴォーヌ川の睡蓮、そして村の善良な人たちと彼らのささやかな住まい、そして教会、そして全コンブレーとその近郷、形態をそなえ堅牢性をもつそうしたすべてが、町も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである。

同書79pより引用

 私の書棚のかなりの割合を占める積読本の地層の中から、横綱クラスの大作のひとつプルーストの「失われた時をもとめて」が正月休みに棚から崩れ落ちて来たので、これは何かの啓示かとおもい10年ぶりに再チャレンジしている。とはいえ今回は最初から読了する気など到底なく、飽きたらすぐ棚に戻すつもりなのだが、ところがどっこい、これがなかなかおもしろい。プルーストやるじゃないか!(本当は私の読み方の問題なんですが。)
 これといった読み手の興味を引くような事件など起こる事なく、どうもいいことをもったいぶって書いているだけじゃないか、これを読むなんて拷問だな、と感じた10年前と異なり、冒頭の眠りに関する記述から今回はノックアウトされた。きめが細かく、多様な色使いで、様々なイメージが織り込まれた布地のような文字の連なり。その布地の肌触り=テクスチャーを視覚で撫ぜて官能する感覚がおきる。そしてテキストを目で見る事だけでは飽き足らず、ゆっくりと声に出してみる。すると言葉の一つ一つが濃厚な香りを発しながら、ある湿度と熱を保った空気となり、私の口腔や鼻腔、咽喉や肺の中までを満たすのだった。そしてその充溢感に意識が酩酊し、言葉の行く先を辿る事なく、過ぎ去った余韻を楽しんでいる。こんな調子だと文庫の第一巻を読むのに1年以上かかりそうだ。はてさて興味はいつまで続くであろうか。とりあえずかの有名な紅茶とマドレーヌの箇所までは辿り着いた。紅茶に浸したマドレーヌを食べた時、幼い頃の記憶が鮮明に蘇るというエピソード。上記の引用はその部分から。
 読んでわかったのだけれども、主人公は、一さじの紅茶を、マドレーヌの一きれをやわらかく溶かしておいた紅茶を、一口飲んだ瞬間に、過去を、ハッと思い出すのではないのです。その行為は、はじめは原因のわからない快感として体験される。紅茶とお菓子の味によって引き起こされた快感を主人公はじっくり考察します。そこに重要な真実が隠されているとして探求します。匂や味といった、そこはかとなく形容しがたいものに主人公は真摯に向かい合います。それはどうやら回想に関係していると考えます。しかし何の回想かわからないで、悶々とします。そして最後には、そのような探求は放棄しいつもの様に紅茶をただ飲みさえすれば良いと思った突如、回想が現れる。主人公が幼い頃すごしたコンブレーという土地の記憶が呼び起こされる。引用はコンブレーを思い出してからの記述だ。そこににいたるまでの精神の活動の軌跡はドラマチックとでも呼びたくなる。
 
身の回りに起こるささいであるが、何故か気になる事。気になるにもかかわらず一体何が原因であり、何を意味しているのかわからない事。事が生起したその瞬間に、アレ、アレ、アレ、コレ何だっけ?って思い出そうとするのだが、立ち止まっていた交差点の信号が赤から青に変わったり、自動販売機のボタンを押したので、缶コーヒーがごっとと、音をたてて取り出し口に落ちて来たり、急行列車の通過待ちをしていた各駅停車の列車のドアがしまったりと、次の事態がおこっていくので、コレが一体なんなのか結局わからず仕舞いな事。コンブレーのようにはっきりと回想が立ち現れることもなく、何かを思い出しかけたことすらも忘れてしまうような事が多々あるなと。私の場合は、冬の季節に多い気がする。自分が北海道生まれで、高校は青森で生活していたせいもあるのだろうが。
 晴天の日の午後3時くらいの空と冷たい空気は、陽光が雪に反射して、あたりが光に包まれているにもかかわらず少しずつ陽が落ちていっているのだなとわかる瞬間に似ているきがして、それがなんなのか探ってみたら、ビルのコンクリートの外壁の灰色がかすかに紫色を帯びている色調が、例えば畑に降り積もった雪の畝の陽の陰になった部分の色調を感じさせたのかなと思ったりするのだが、定かではない。アア、あの時見た雪原だとはっきり回想される訳でもなく、何かこの空気、色彩はどこかで体験した感じがあるなというだけなのだが。デジャヴュともちがう。その時点でここではないどこか他所に思いを馳せているのだから。そして意識は既に自分の記憶の回廊を巡り始めている。犬の散歩をする小道。窓の外の絶え間なく降りしきる雪のむこうにおぼろげに見える恵庭岳。窓の結露。湿気をすってふにゃふにゃな本のページ。トタン屋根の青色や赤色。断熱効果のために窓の外側に張ってあるビニール。雪解け時期の、パサパサした粉っぽい町。スパイクタイヤで擦りとられたアスファルトが粉塵となり舞っている。(現在は粉塵問題が深刻化したのでスッタッドレスになった)
 
 記憶の回廊は、私自身が体験したものをこえて、今は亡き母親の語る記憶にも繋がっている。
私の母親の名は、千恵子というのだが、幼い頃から家族からは「チーコ」と呼ばれていた。チーコが幼い頃のある冬の話し。まだ明けやらぬ雪の日の朝、仕事から帰宅したばかりの父親に「チーコ、早く起きて表に出てごらん。」と起こされたチーコが眠気眼をこすりながら玄関の引き戸をあけると、雪の降りしきる薄暗がりの中に何十頭もの馬が白い息を吐きながら立っているのでした。そんな話しを幼い頃、母から聞いた記憶がある。チーコの父、私の祖父は富山からの入植者で岩見沢で農家をしていたのだが、岩見沢に入る前は馬喰もいとなんでいたらしい。でもその家がどこだったのか忘れてしまった。美唄だったかな。それに長い間記憶の中にしまっていたエピソードだったので、私自身でかなり脚色しているかもしれない。

 チーコと馬のエピソードには、それを回想させたトリガーとなった一冊の本がある。
「明るい炭鉱」吉岡宏高 創元社 2012発行
http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=30043

暗く過酷で劣悪な環境で働く労働者。落盤事故による家族の悲惨な運命。労働争議。
ヤクザまがいのタコ部屋経営。労働者を搾取する資本家。近代化の負の遺産。会社=悪。労働者=善。そんなステレオタイプの炭鉱のイメージを刷新してくれた良書です。リンク先ページの目次を是非目を通していただきたい。そもそも炭坑とはなんなのか。その発生の歴史的理由。採炭から出荷までの作業のプロセス。働き方。会社組織、労働形態。炭坑街の形成。消滅に至るまでの過程。などを左翼的イデオローグに染まらずに、実際に炭鉱会社職員(事務方労務担当)を父に持つ筆者が北海道の炭鉱について、炭鉱の街で生まれ育った者の視線で書き綴る。それは同時に家族の歴史を描く事でもある。しかしたんなる文学的ルポではない。人文地理学や近代史、経済学的視線も取り込んでいながら炭鉱の工学的側面(採炭技術、労働環境整備、物流システム)から社会学的側面(労使関係、コミュニティ、炭鉱街まで含む)を具体例をあげて著述し、炭鉱の全体像をイメージすることができた。そしてそのような北海道のある地域の炭鉱を語る事が、そこに暮らしたある家族の話しを語る事が、やがて世界的な歴史の流れと接続しうることに気づかされた。はたして炭鉱の記憶は負の資産なのか?多くの発見や、インスピレーションが湧いた読書体験だった。

 さてチーコと馬にもどろう。「明るい炭鉱」の冒頭箇所で明治政府による北海道開拓について触れている。開拓時代、炭鉱や鉄道の技術的サポートをするためアメリカからやって来た「お雇い外国人」、彼等はアメリカ西部開拓の終了によって活躍の場がなくなった者や、南北戦争による人生の大きな変換を迫られた者であり、新たな可能性の大地、フロンティアとして北海道を選んだ事が記されている。それを読んで私は、母方の血筋の精神風土形成にアメリカ南北戦争が、アメリカ大陸横断鉄道の完成が、何百分の一、何千分の一でも影響を及ぼしているのだなと妄想した。(ペリー艦隊の来航を考えればすべての日本人はそうなのだが)

 母は、NHKで放送されていたアメリカ西部開拓時代の家族の生活を描いたTVドラマ「大草原の小さな家」が大好きだった。ドラマを見ながら時折、自分の幼い頃の生活とよくにていると話してくれた。不便な開拓時代、貧しいながらも家族愛あふれる小さな家、その生活の描写に、入植時代の自分自身の幼い日々を思い出させるなにかがあったのだろう。
 もしかすると「チーコと馬」のエピソードは、夕食での家族の団らんの際に、TVを見て話してくれたものかもしれない。それとはまた、事実はまったく異なり、雪の早朝の馬の出現自体が、ドラマの中のことで、それを母と共に見ていたというのが本当の事かもしれない。今となっては確かめようがないのだが。でも祖父が馬喰をしていた話しは繰り返し聞いた記憶がある。記憶の回廊の端の方は茫漠としてホワイトアウトした雪の風景にも似て、ふっと何かのイメージが眼前を通り過ぎたかと思うと、気がつけば天地も判別しがたい白い闇みたいなものだな。