2012年6月17日日曜日

管理社会。カメラとやりがい

近年TVなどの犯罪報道では、駅や店舗内部に設置された監視カメラの映像が良く使用される。警察の捜査の段階、事故の検証の段階では私達が見ている以上の映像の分析が行われているのだろう。そんな監視カメラをモチーフにパフォーマンスアート作品をつくった友人がいる。山岡佐紀子さん。タイトルは『天使の監視』

JR秋葉原駅構内各所に設置された監視カメラを人々を見守る天使に見立て、天使に祈祷するシスターを演じた山岡氏。秋葉原駅が十字架の形であること、駅を意味する英語stationには留まると言う意味があり、the stations of the Cross (十字架の道行の留)とうい成句はキリストの受難を表す14の像の前で立ち止まりながら祈祷するという意味であることなどから、私はキリスト教からの引用を使い管理社会をユーモアで皮肉気味に批判している作品だと思っていた。先日Facebook上で紹介をしたら早速作家本人からコメントをいただいた。
萩原様。一昨年の作品ですが、取り上げてくださってありがとうございます。最近のいくつかの犯罪で、まさに、監視カメラの話題が増えていますね。皆さんはどのように捉えておられるでしょうか。
 この作品は、プライバシーを侵害される問題の観点から入っているように見えますが、むしろそれよりも、「つながっている」ことを求める心の方をテーマにしています。たとえば、宗教は、その真実追求性よりも、多くの人にとって、コミュニティ性に意味がある。同じシンボルを共有する人たちの集まり。この「孤独な」シスターは、天使(実際は監視カメラ)に監視されていることを確認/感謝しながら、自らの身体を高揚させ、教会内(実際は秋葉原駅)での、廻廊巡りをしているのです。最後は、聖堂の祭壇(駅の真ん中あたりのロッカースペース)にて、キリストのゲッセマネの祈りを夢想し、殉教のイメージひ浸っています。

プライバシーの侵害はそれはそれで問題なのですが、それとともに、「孤立」する人々の方が私の興味の対象です。守らなくてはならないプライバシーがある人たちは、それなりに幸せだ。家族や友達、仲間、コミュティ、民族、宗教、国家。
つながりとは、足かせであり、生きる場所でもあります。
最近の大阪での通り魔殺人も、個人的に自殺するのは辛く、むしろ、刑務所に戻って、死を誰かに執行してもらいたいようですね。
秋葉原と言う場所は、孤立する若者にとって、シンボリックなロケーションだと、私は思います。形が、十字架だと言う事もずっと前から、気になっていたので。勿論、それは全くの偶然ですが。

コメントを読んで、また一段と作品の多義性に魅了される。プライバシー侵害が問題ではなく、逆に『つながっている』ことを求める心がテーマであり、孤立した人間に焦点があるという点。単なるアイロニーの表現ではなく、反対に絶望からの帰還を促すものに見えてくる。山岡氏の演ずるシスターの真剣さがユーモアと救済の隙間でさまよっている。孤立するもの達がかかえる空虚感は怒りの拳だけでは覆せない。

私もはじめは、プライバシーの問題からこの作品を見ていた。キリスト教モチーフが使用されている点に目が行ってしまったからかもしれない。キリスト教社会の世俗化が進むことによって、教会は国民国家と同質化し社会の中での影響力は消えていく、信仰の形態も無神論と化すことによって、人はおのおの自己を、己の神とし、主体の内部を持つにいたる。この内部の形成がプライバシーの発生だ。私達にはもはや告解は必要ないのである。

はなしが飛びすぎているようだ。ここは日本だ。山岡氏のコスチュームプレイに引っ張られてしまった。

重要なのは、私たちが何かの始まりに立ち会っているということだ。ジル・ドゥルーズ
記号と事件 追伸ー管理社会について 299頁 河出書房新社1996

ドゥルーズは1990年に管理社会について、短いが予兆にみちたテキストを書いている。フーコーが提出した規律社会から、現代のそして未来の管理社会への移行について書いている。規律社会においては監禁が社会を構成しているシステムであった。家庭、学校。軍隊、工場、監獄。しかし19世紀的システムは内部から徐々に崩れていく。規律社会では(学校から兵舎へ、兵舎から工場へと移るごとに)いつもゼロからやり直さなければならなかったのにたいし、管理社会では何一つ終えることができない。295頁
在宅介護・デイケアは監禁型医療システムの変化であり、それと同時に行われる予防医学の提唱は人々の意識を、病との戦いに日々送り込む生政治だ。生涯学習の重要性が唱えられ、教育機関のあらゆる局面に産業が入り込んでくる。私を高く値踏みしてください。情報インフラの発達により、あらゆる場所が職場となり、勤務形態の多様化が働き方の選択肢を増したようでもあるが、同時に不安定な雇用状態を容認する温床でもある。ノマドワークとはよく言ったものだ。冗談かと最初は思ったが。

人間は監禁される人間であることやめ、借金を背負う人間となった。しかし資本主義が、人類の四分の三は極度に貧困にあるという状態を、自らの常数 として保存しておいたというのも、やはり事実なのである。借金をするには貧しすぎ、監禁するには人数が多すぎる貧民。298頁

人間を取り巻く状況が、ますます市場的そして証券的な考え方になっていく。
私を高く値踏みしてください。私は健康です。私は将来の可能性にかけて頂きませんか?

広大無辺な時間の流れに放逐されて、人はみずからあわてて足かせを自分のあしに取り付けている。足かせ=生きる場所。それがないと生きていけないのは承知しているのだが、やりがい、未来、希望など一見ポジティブな言葉によって、自分の生を何かに隷属させてるのではないかと思う時がある。
だから、はなっから経済活動での成功や自己実現をあきらめた感じのするダウナー系男子を見て生き方としては有りかもしれないと思う私は、たぶんマッチョなんだろうね。








2012年6月2日土曜日

アート・公共・コミュニティ・交換/吉田謙吉と蟻の街

「父・吉田謙吉と昭和モダン」 塩沢珠江著 草思社 2012・2・15刊行 読了。
舞台美術家。築地小劇場での活動。ポスターデザイン。関東大震災後の、焼け跡に建つバラックを美術で装飾する「バラック装飾社」を今和次郎と結成。おなじく今和次郎と考現学を展開。映画の美術監督。衣装デザイナー。黎明期のテレビ番組の美術。店舗デザイン。パントマイムの普及に尽力。など様々なジャンルで活躍した吉田謙吉氏を、娘さんである塩沢珠江さんが家族ならではの視点と思いで書き綴った心和む評伝。
今年の春の鎌倉近代葉山での「村山知義」展、汐留ミュージアムでの「今和次郎 採集講義展」の影響から辿り着いた書籍のなかの一冊。
昭和のデザインへの郷愁(築地小劇場のポスターがいい!)をかき立てられつつも、私にとって新たな発見があった。そのうちの一つ。
「山羊のアリス」のエピソードがほほえましくも、今日の日本で再び考える必要のある問題を孕んでいる気がする。昭和25年の初夏に一匹の山羊が、吉田家にやってくる。その山羊の来歴が興味深い。
《山羊の名前は「アリス」。後年「蟻の街マリア」で知られるようになった
 バタヤ(廃品回収業者)村からもらったので「蟻の街のアリス」と謙吉が命名した。なぜ山羊を飼うことになったのか?「蟻の街」は、隅田川の事問橋付近、現在の隅田川公園付近にあった。「蟻の街」を応援し、そこに住んでいた知人の劇作家松居桃楼から頼まれ、(廃品回収の)第八車に絵を描いた。》45〜46ページより引用 以下3枚の写真も。そしてその絵を描いた大八車のお礼として蟻の街より山羊が吉田氏に送られたのだった。それにしても大八車に絵を描く吉田氏と奥さんの顔の楽しそうな事よ。吉田謙吉は廃品回収時に着用する廃品回収服なるものもデザインしている。昭和25年は、まだまだ復興の道半ばの東京であったにちがいない。貧富の差、生活環境の質の差は歴然とあったであろう。そんな時代に社会福祉活動に身を投じる人達がいて、その活動を自分のもっている技術で応援する人がいて、そして当の支援を受ける人達も人々の支援に対して、心からお礼をする。そんな人間力がある社会でもあった。今日、パブリックスペースやコミュニティをテーマとするアートはよく見受けられる。それは公共の側から、コミュニティの側から求められているものなのだろうか。フィールドワークと称して、コミュニティに入り込み、ワークショップの名のもと、地域住民を動員して作品を作った結果が、住民に何ら益のないもにならない保証はあるのだろうか。得をするのはアーティストだけにはならないのか。アートに対して返礼ができるコミュニティはそもそも力のあるコミュニティであるだろし、アートの側から一方的な提示をするだけなら、コミュニティはアートと関わる必要はないはずだ。念のために言っておくが、画家は看板を描けと言っているのではない。コミュニティにとってもアーティストにとっても、相互に交換されるものがなければならい。大八車は吉田謙吉にとって、数多くてがけた仕事の中の一つであった。そして同時に蟻の街の人達にとっては、重要な生活のための手段だったのだ。
第八車の下絵