2012年8月15日水曜日

「クラウド・シティ」トマス・サラセーノ展を見て

銀座のメゾンエルメス8階フォーラムで、「クラウド・シティ」トマス・サラセーノ展を見てきた。http://www.art-it.asia/u/maisonhermes/FOYzTJadHwNI2LZMuWrb
トマス・サラセーノはアルゼンチン生まれで現在ドイツ在住のアーティスト・アーキテクト?私には初見の作家。空中浮遊都市の展示と知り、これはトンデモ建築に出会えるかと思い行ってきた。会場には大小様々な大きさの木製多面体が、単体もしくは複数連結したものがワイヤーで空中に固定されてた。どうやらそれら多面体の連なりが空中浮遊都市のイメージのようだ。では一体それらの物体はどのような機構で浮くのかと考えてしまう。多面体の内部は泡のように空洞で外観のイメージしか伝わらない。アート作品だからそれでいいのか。ちょっと不満。いやちょっとどころじゃない。大いに不満を感じた。機能と構造とデザインが一致しないじゃないか。いや、空中浮遊は技術的には不可能に近いんだからアート寄りのアンビルトの展示と思えば納得できるかなと消化不良の感覚を覚えながら会場をうろうろしたらまだ他にも展示物があった。巨大な黒いビニールの気球のようなもの(むかしゴミ袋に使っていた黒いビニール袋の巨大なやつ)が、床から天井まで膨らんでプルプルと震えて横たわっている。600φの鋼製リングの開口部一カ所有り、その脇には扇風機が一台内部に空気を送っていた。せこい空調だなと思いながらもバルーンの中に靴を脱いで入る。内部は広く、モニターが設置してありサラセーノの作品を紹介する映像が映し出されていた。扇風機一台で空調している割には暑くないなと思いながら映像をみていると、一体このバルーンはなぜ膨らんでいるのかという疑問が生まれた。あわてて外に出てバルーンを支持している構造物や引っ張っているワイヤーなどが無いのを確認してから、そばに立っていた案内の女性の方にバルーンの機構を質問した。なんと答えは扇風機一つで膨らませているとのこと。これは面白い。これは確認していないが黒色ビニールシートを使用しているのは太陽光によって空気を暖めるためだろう。レンゾ・ピアノ設計のメゾンエルメスの建物、全体がガラスブロックで覆われているから太陽エネルギーは使い放題。木製多面体作品はイメージ先行の夢想的な展示に思えたが、黒色バルーンは機能と構造が一致している。デザインに関しては墜落した気球のようで、無様な印象を受けなくもないが手仕事感が溢れていて個人的には好感が持てる。そして作品の脇のベンチに置かれていた空中浮遊のための指南書を読むと、黒色バルーンを使い太陽熱だけで浮く実験を成功させているではないか。ビニールシートのカッティングから貼り合わせの手順まで詳しく説明しているその資料にエンジニアリング魂を大いに刺激された。

空中浮遊による重力の原理にとらわれない自由な空間の創出、そこでの人々の出会いと生活。国家の枠をこえたエコロジカルな発想および技術を利用した新しいパブリック空間の設計。それらのコンセプトをアンビルトなイメージとして展示するのではなく、それを実現するために様々なアイデアのプロジェクトを実践することでユートピアを描き出す。などと書いてはみるものの、私には「クラウド・シティ」は全体的に楽観主義者のユートピアの夢想に感じられた。

技術系アンビルドの系譜はバックミンスター・フラーを思い出してしまう。技術的には可能であるが、現実に技術面の問題が解決した際に、人間が果たしてその空間で新しい生活スタイルを手に入れることが可能なのかが疑わしいのだ。フラードームは富士山の気象測候所などで使われているが、地球全体で見れば軍事施設での利用が一番多いのではないだろうか。FRPのユニットバスもそうだ。仮設の風呂・トイレを安く早く設営するためのプランが日本の住宅市場に取り込まれた瞬間に貧相な住文化になりさがる。生活が向上するためには技術的な問題を解決するだけではなく、社会学、政治学、経済学等の人文科学系の知見を取り入れることが必要に思われるのだ。
技術系アンビルドは何も高度なテクノロジーだけが問題ではないのだ。例えば「O円ハウス」で有名な坂口恭平氏のモバイルハウス。完全な0円ではないが少額の金額で雨露をしのぎ生活することのできる快適なスモールハウスを作ることは可能だ。社会保障制度の網からたとえ落下してしまったとしても、人間何とかやっていける。いやより人間らしい生活が可能だというメッセージもすばらしい。でも廉価なモバイルハウスが市場に流通したらどうなるだろうか。BOPビジネスの主力商品になるかもしれない。

空中浮遊都市。国家を超えたパブリック空間。聞こえはよいが、その場所での富の再配分はどのようなシステムを取るのだろうか。空中浮遊都市ならそのインフラ整備には相当な金額が必要になるに違いない。住民は国家に帰属する代わりに、世界的に展開している保険会社に帰属するかもしれない。特定の国の上空には領土問題上浮遊する事はできないであろう。反対に空を解放する代わりに地上に資本を投下することを提案してくる国家も現れるかもしれない。実際にタックスヘブン・情報ヘブンを利用した人工国家の出現は近いかもしれない。私もとりとめのない夢想にはまり始めた。

最後に私にとって一番印象が強いのアンビルトな作品は、アーキグラムのウォーキング・シティでも、黒川紀章のHelixでもない。磯崎新の「エレクトリック・ラビリンス ふたたび廃墟になったヒロシマ」だろうか。実現する以前にすでに廃墟になっているメガストラクチャー。色々な意味で考えさせられる作品だ。








2012年8月3日金曜日

奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解展を見てきた

文京区は本郷にある弥生美術館館に、大伴昌司の大図解展を見てきた。
ウルトラシリーズに登場した懐かしい怪獣達の体内解剖図解の数々が展示したあった。バルタン耳やバルタン胃。エネルギーぶくろや、怪獣の弱点。1万トンやマッハ2や何万馬力などの具体的に記述されているが、凄いんだろうとしか漠然に思うしかない数値の数々。子供の頃に彼の怪獣図鑑を実際に所有して愛読したというハッキリとした記憶はないのだが、大伴の影響を受けたであろうと思われる色々な図解シリーズを小学生低学年の頃夢中になって読んだ記憶はある。特に未来予想が好きだった。立体テレビ。エアカー。未来都市での生活。ロボットが人間の活動をサポートし、テクノロジーの発達により深海や宇宙にまで活動範囲を広げる人類。科学がもたらす明るい未来。自分が大人になる21世紀はどんなによい時代であろうかと夢想する一方で、破滅的なイメージにも魅惑された。宇宙人の襲来。公害。食糧危機。大三次世界大戦。人類滅亡の予想。
大伴昌司の大図解展でも未来の予想についての展示に目が行く。彼の大図解の代表的な例として取り上げられるのが、「情報社会 きみたちのあした」《1969年(昭和44)『少年マガジン』掲載》なのだそうだ。今回私はこの展示で初めて知った。ちなみに掲載時私は4歳だ。
コンピューターによる犯罪分析と犯人逮捕、そしてなんとコンピューターが裁判の判決まで下す。他にも教育システム、自動車の自動走行システムや遺伝子操作による新しい生物の創造などが描かれている。現在インターネットを利用した学習などはもはや珍しくもない。自動走行システムのなどはグーグルが積極的に推し進めている。図解ではネズミ大の大きさの像やキリンが描かれていて気持ち悪い。でもそのうち生まれるかも、情報社会の花形として電話が取り上げられている。さすがだ。でも携帯電話までは予想していない。
面白かったのは「ドライブイン病院」自動車に乗ったまま、ファーストフードのドライブスルーを利用する感じで人体がスキャンされ、異常がなければそのまま走行を続けることが可能なのであるが、入院が必要とされる異常を抱えた人物の自動車は自動的に大型コンテナに誘導されそのまま病院送りとなる。さすがに自動車に乗ったままの診断は難しいだろうが、それこそスマートフォンのアプリのようなもので定期検診することが国民に義務付けされたりするかもしれない。それより飲酒運転撲滅のために自動車に生体検査システムが埋め込まれるのが早いかもしれない。それは同時に交通違反をはじめとし各種犯罪の予防捜査も利用される。なんだか私も三流SF作家の様な妄想に囚われ始めたようだ。
大伴の図解に戻ろう。原子力関係の記述にも注意がいく。ゴジラは言うまでもない。ガラモンはロボット怪獣で体内に原子炉を持ち放射能をまき散らすらしい。ガボラという怪獣は原発を襲ったそうだ。貝獣ゴーガは放射線の影響で巨大化する。ウルトラマンに出てくる科学特捜隊のビーグル号はあんな小さな機体を原子力エンジンで飛行している。冷戦下の核実験の影響と夢の技術としての原子力が共存しているのが感じられる。
展示は他にもホラーやミステリ、SF関連の仕事の資料なども。小松左京やアーサー・Cクラークとともに映っている国際SFシンポジウムのスナップもあり。少年雑誌からSF、テレビ脚本、映画評論まで多彩なジャンルで活動したプランナー、ジャーナリスト大伴昌司の様々な仕事が取り上げられている展示。見るというよりは、雑誌を読むそんな感じの体験をした。
弥生美術館に連結している竹久夢二美術館では、関東大震災を経験した夢二が被災した東京を歩き回り描いたスケッチと残した文章が展示されている。画家として、目の前に起こったことをしっかりと目でとらえ、残そうとする鋭く強い意志を感じた。