博物館のキャプションで真相を知る。私財をなげうって、足尾鉱毒問題に取り組んでいた正造の晩年は大変貧しかった。そんな正造のささやかな楽しみは出かけた先で見つけて気になった路傍の小石を拾うこと。そして彼は、彼の支援者に一宿一飯の返礼として、書をしたためその小石をそえて渡していたのだそうだ。
正造の日記にこういう記述がある。
正月九日 うつの宮ニ来泊す。思うニ予正造が道路ニ小石を拾うハ、日なる小石の人ニ蹴られ車ニ砕かるるを忍びざればなり。海浜に小石の日なるを拾ふハ、まさつ自然の成功をたのしみてなり。人の心凡此くの如シ。我亦人と同じ。只人ハ見て拾わず、我ハ之を拾ふのみ、衆人の中ニハ見もせずして踏蹴る行くもの多し。
田中正造全集十三巻384頁 日記 大正2年(1913)1月
正造は小石に、大地に生きる名も無き人たちの姿を見いだしたのだろうか。遺品を前に、小石に託した正造の気持ちに想いをはせた。学芸員の説明によると、支援者の家には今も正造から受け取った小石が大事に保管されているそうである。
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