11月9日土曜日。足尾の砂防ダムの向こう側の河原での野点は無事終了しました。
東京出発の頃は曇天。しかし日光道を降りた辺りから時折晴れ間が。
本山精錬所あたりで車を降りて、渡良瀬川沿いをしばし上流に向かって歩く。
龍造寺で、精錬所からの有毒ガスで廃村(1901年)となった松木村の無縁仏と
鉱山を渡り歩いて足尾で死んでいった渡り抗夫の墓に合掌。
銅親水公園に到着した後、みなで資材を持って丘を越える。
長靴を履いて、小川を渡る。いつの間にか吹き出した強風の中での会場の設置。
抹茶は飛ぶし、河原に敷き込もうとしたスタイロフォームは宙に舞い、終いには用意したカセットコンロが不調で点火せず。
叫び声と、笑い声。危機感となるようになれという愉快な気分が湧いてくる。
参加者全員で、シートを抑え、石を重しの替わりとし、河原の石を集めて竈をつくり、そこにライターで着火したガスコンロを置いた頃から風が落ち着く。
ヤカンに参加者がそれぞれ持ち寄った水を入れお湯を沸かした。
私は旧古河庭園で拾った三つの小石を持って河原を歩く。
気に入った石を拾い上げて替わりに東京から持ってきた石をその場に置いた。
松木川の流れで小石を清める。
全員、即席で作られた緋毛氈の上に着席。末席には村田さんが連れてきたバービー人形。まるで依り代のよう。緋毛氈も一つの結界のようだ。
村田いづ実さんが、心を込めて一椀づつ茶を点ててくれる。
空を見上げながら、一口。川の流れの音をを聞きながら一口。足尾の荒涼とした山々を眺めて一口。冬の寒空の下の暖かいお茶は甘露でした。
全員がお茶を頂きお手前は終了。そのまま会場で足をくずしお弁当の時間へと思ったとたん空からぽつり、ぽつりと雨粒が。山の天気は変わりやすい。大事になる前にと、スピードで撤収作業。奇跡的な凪と晴れ間の間に野点は行われたのでした。
写真とムービーはいずれ作品化して公開する予定です。
撮影を担当していた矢尾さんのコメントによれば、茶席に座る参加者は筏にのって漂流している人のようであった。しかもみなお辞儀をして笑っている。とても不思議な集団に見えたとのこと。
様々なアクシデントをへて、いや困難を皆で通過したが故に、主客合一の一座建立がなされたと東京に帰ってからもしみじみ思ってます。写真は足尾から持ち帰った三つの小石。
この小石は足尾鉱毒事件で消滅した旧谷中村・現渡良瀬遊水池に旅します。
もちろんそこでも私達は一座建立を試みます。
0 件のコメント:
コメントを投稿